松帆神社の刀♡淡路島

「これ、欲しい。」
珍しく娘が神社でお守りを欲しいと言った。
それは、淡路島の松帆神社の【菊一文字 太刀守】
一緒に神社巡りをしていても、お守りや御朱印を欲しいと言ったのは初めてのこと。
だから、とても印象に残っている。
そもそも、松帆神社も訪れる予定ではなかったのだ!
そう、導かれたとしか思えない神社参拝だった。
その日は、朝から淡路島の神社と猫美術館をバスで巡る旅の予定だった。
予定のルートは、以下のようです。
おのころ島神社→ランチ(PASTA FRESCA DAN-MENさん)→中浜稔猫美術館→石屋神社→住吉大神宮→絵島→岩樟神社
ランチのあと中浜稔猫美術館へ向かうバスに乗って外を眺めていると。。。
神社の鳥居が目に入り、とても気になる神社だった。
予定の中浜稔猫美術館近くのバス停で降り、美術館へ向かうと、お休みだった。
えーーーー。お休み!!!
ホームページで確認したときは、そんな情報なかった汗
次の絵島方面へ向かうバスまでは時間がある。
どうしよう???
そこは、東浦バスターミナル。ちょっとしたお店はあるけれど、時間を潰すには・・・
しかも美味しいパスタを食べたばかりで、お腹はいっぱい(笑)
「あ!さっきバスの中で気になった神社があったんだった。そこへ行ってみようか。」
google先生に聞くと、歩いて10分。
ちょうどよいお散歩コース。
道路近くにある鳥居をくぐると、長い参道が続いていた。(この写真は、本殿の方から鳥居を撮っています。)


本殿前の鳥居が古を感じる。
そして両側で神社を守っているのは、贔屓(大神亀)。
そして、階段を上りびっくりした!
たくさんのお社があるが、「仁徳天皇社」「宇治皇子社」。
天皇に関係している神社???
御祭神は、応神天皇様。そして、仲哀天皇様と神功皇后様。

由緒書きを見ると、楠木正成が戦いのとき首からかけていた八幡大神(ご神体)を家臣へ託し、戦場から逃れさせた。そして、その家臣たちは小舟にて淡路島にたどりついた。その後、その地を亡き主の姓「楠木村」としたが、室町時代に幕府の目をはばかり「楠本村」と改めたらしい。この家臣たちがこのご神体を楠本村片山に小祠として祀り、「八幡宮」として崇敬を集める。
1399年現在の地に奉遷され、明治14年に現在の「松帆神社」と改めた。
読んでも良くわからない・・・腑に落ちない汗
そして、社務所で娘の言葉「これ、欲しい。」を聴く。
【菊一文字 太刀守】菊一文字をかたどった金属製の小剣を収めた、必勝・厄除祈願の御守です。
なんでここに名刀???

つながりがわからないまま。。。
腑に落ちない気持ちのまま。心に残ることになる。
そして!約2年後、ホツマツタヱで繋がることになる。
ホツマツタヱ37アヤ。
何気なく読んでいたとき。小刀の話がでてきた。
イクメキミ(垂仁天皇)が新羅の王子ヒボコからいただいた宝物を見たい。
とおっしゃったので、ヒボコは宝物八種をお持ちした。
そのとき、出石小刀(イズシコカタナ)だけ自らの袖に隠し、天皇の御前に置いた。しかし、その後の宴のとき小刀がぽろっと落ちてしまう。
「それはなんぞ?」
と聞かれ「これは、宝でございます。」と答える。
「その宝は、身につけておかないといけないものか?」
と優しく聞かれ、自分の行いを恥、天皇へ捧げた。
後日、天皇が宝物を見ると小刀だけが消えていたではないですか!
そして、その小刀は淡路島へ渡り、島民はその小刀を神として祀り社を建てました。
不思議な話ですが、超意識の縄文時代では、物や人がワープすることもある気がします。
それよりも、ここで!
淡路島と刀が繋がったのです♡
きっと松帆神社の辺りは、ホツマの時代、宮があり、天皇家の方がお住いになっていたのだと想います。
腑に落ちなかったのは、これにたどり着くためだったのです♡
感謝♡
実は、熱田神宮からの流れでここに辿りついています。
熱田神宮は、三種の神器の「剣(刀)」があるとされています。
何か繋がるのかなぁ。

松帆神社ではこの場所が、一番エネルギーを感じました。
そしてこの木がとても気になりました。御神木だったようです♡
顔がいっぱい付いているように見えるのは、私だけ(笑)
