導かれし佐藤一斎氏の原点・岩村への旅
秋晴れの日。
大学同窓会の課外授業で佐藤一斎先生の生まれ故郷である「岩村」を訪ねた。
「歴史の街並みをたずねて」と題する課外授業である(笑)
教えていただいた先生は、観光文化、地域文化、民俗建築などを研究されている。
それまで、言志四録を書かれた佐藤一斎先生を大事にされている街。というくらいの認識だった「岩村」。
そこは、岐阜県恵那市にある城下町であった。
平安時代は、美濃国遠山荘という荘園であり、鎌倉時代初期に鎌倉幕府の有力な御家人となった加藤景廉の子・景朝が遠山景朝となり、岩村城を築城したそうです。
戦国末期には、岩村城の城主は、織田信長の叔母である「おつやの方」が「女城主」となりました。現在では「女城主」というお酒が有名です。
余談ですが、「女城主」のお店の向かい側のカステラ屋さん「松浦軒本店」のカステラは、昔ながらの少し固めのカステラですが、とっても美味です♡
そして、このカステラ屋さんのエピソードがおもしろい!(^^)!
江戸時代に、岩村藩の御典医である神谷雲沢という方が、蘭学を学びに長崎へ赴いたそうです。しかし、蘭学でなくカステラの製法を学んで帰ってきちゃった!とのことです。
お陰様で、美味しカステラを食べることができるので、感謝ですね♡
岩村の街並みは、周囲が山々に囲まれ水や緑と一体となった街並みです。
町家の裏側には、「天正疎水」と呼ばれる生活用水として作られた水路があります。
このようなのどかな街で佐藤一斎先生は、江戸時代に岩村藩家老の二男として生まれました。
儒学者となった佐藤一斎先生は、晩年昌平坂学問所の儒官となり、佐久間象山や渡辺崋山が門下生となり、幕末から明治にかけて活躍した勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬・西郷隆盛などに大きな影響を与えています。
その教えを後世に残すべく、この岩村の街のいたるところに佐藤一斎先生の「言志四録」にある碑文が様々な形で存在しています。
(↑こちらの画像は、いただいたパンフレットを加工して掲載しています。)
また、恵那市指定文化財となっている「木村邸」の茶室「藍原舎」と書院床の間には、佐藤一斎先生の書が飾ってありました。
私が、佐藤一斎先生の「言志四録」に出会ったのが2020年。
ブログで先生のお言葉を発信していた時から、3年の月日が流れたときのお導きの旅でした。
街のあちこちの碑文に出会うたびに、岩村の方々が佐藤一斎先生を大事にされていることを感じ、さらに残していくべき「言葉」なのだと強く想いました。
何だか、佐藤一斎先生がお喜びのように感じる空でした♡
この旅に感謝♡ありがとうございます\(^o^)/
私なりにわかりやすい言葉で綴っています「言志四録」をお読みいただけますと幸いです。