昼神温泉の八王子社と阿智神社
yasukoo
光のまほろば会
名古屋市瑞穂区。
日々の暮らしのすぐそばにある、氏神様・山神社。
特別な予定があったわけではなく、
ただ、静かに手を合わせたくなって訪れた。
手水舎に立ち、柄杓を取り、水にそっと感謝を向ける。

冷たく澄んだ水が、長い時間を経てここに在ることを思った。
その瞬間だった。
手を合わせたまま目を閉じると、
足の裏から地中へ、すっと意識が降りていく。
土の奥深くを流れる水の道。
岩を伝い、層を越え、
はるか遠くまで続く“流れ”。
なぜか、はっきりとわかった。
この場所と、富士山が、
地中でつながっている――。

理屈ではない。
知識でも、想像でもない。
ただ「そう感じた」という、
揺るぎのない感覚。
富士山は、日本の背骨のような存在。
山であり、祈りであり、水の源。
その富士の記憶が、
今、足元の大地を通して、
この小さな神社へと届いている。
山神社は、地域を守る神。
声高に語らず、
日々の暮らしのすぐそばで、
命の循環を見守ってきた存在。
その山神様が、
水を通して教えてくれたのかもしれない。
「あなたは、ここに立っているだけで
すでに大きな流れの中にいる」
個人と土地、
土地と国、
国と大地。
それらは分断されているのではなく、
目に見えないところで、
確かにつながっている。
富士山は遠くにある。
でも、その水は、
その記憶は、
今ここにも流れている。
そう気づいたとき、
胸の奥が、静かに温かくなった。
特別なことをしなくてもいい。
遠くへ行かなくてもいい。
足元の水に感謝し、
土地に手を合わせるだけで、
古代の記憶は、ふっと立ち上がる。
あの日の手水舎は、
神秘的な場所ではなく、
ただ“思い出すための入口”だった。
私は静かに頭を下げ、
また日常へと戻った。
けれど、
地中でつながる感覚は、
今も、確かに、ここにある。

